今回の病気でいろんなことがわかりました。
今回の病気になったことで、本当にいろいろなことを経験しました。
まずは入院生活。
そして不自由な身体で生活すること。
それから強烈な斜視。
これらが一度に経験できて、それが回復するのですから、神様はなんと素晴らしい体験をさせてくれたのだろうと思います。
入院生活では、本当に素晴らしい医療スタッフに恵まれて、感謝の気持ちでいっぱいです。
ですが、その一方で患者の質については、考えさせられるところがありました。
入院していたのは神経内科なので、パーキンソンや糖尿病の方がおおく、年齢層もかなり高い方です。
源病のほかに合併症で入院している方が多かったようです。
「お若い方の洗髪なんて、ほんと久しぶりです。いつもお年寄りばかりなのでほとんど髪の毛もなくて。洗い甲斐があります!」
なんて、思いもかけないことで褒められたりします。
4人部屋に入院していたのですが、他の方達はみな自力排泄が困難でした。
そのため看護士さんたちの仕事のほとんどは排泄の介助と処理に割かれます。
本当に大変な仕事です。
でも、本当なら自分でトイレに行かれるのでは?と思われる人も中にはいます。
オムツに慣れてしまって、介助されるのが当たり前になっている感じがしました。
勿論身体の痛みや煩わしさもあるでしょうが、海外に比べて寝たきり率が高い日本を垣間見たきがしました。
ひとりの方は、リハビリを勧める医師に向かって「私は身障者2級なんだから歩けない!!」(この声はとてもお元気)
と頑としてリハビリを受け付けず、それに輪をかけてご家族も同調するのです。
病室内だというのに医師や看護士に向かって怒鳴り散らす姿には、品性の欠片もありません。
せっかくもらった身障者手帳。
これがないとヘルパーさんの来てくれる頻度がへって困ります。
だから歩く訓練はしない。
そう言っているように私は聞こえました。
それでも医療スタッフの方々は、(クソ忙しいのに)かわるがわる声をかけて、いろんな方法で自ら体を動かせるように、働きかけます。
健康的な長寿が少ない今の日本は、介護保険制度が作り出したものでは?そんな風に思うようになりました。
寝たきりでベッドに縛られて、ヘルパーさんに介護を受けるのがいいのか、それとも自分の足で歩いて、時には旅行、時にはスポーツなど楽しめる方がいいのか。
もちろん私は後者を選びます。
そのためには今からきちんと自分の体を管理して、後者になるように努力しなければなりません。
病気になっても、高齢になっても、できるだけ生活の質を下げないで暮らす。
そのことの大切さ、そして難しさを痛切に感じました。
みなさんもぜひ後者になっていただけたらと思います。
高齢化社会をこれから支える若い世代のためにも是非。
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