哀しみのカタマリ⁉️
こんばんは。
「長野とんぼ帰り」はいつものことなのですが、今日は何だか疲れました。
いつもより車が多かった気がします。
緊急事態宣言が今週末で終わりますので、今日は少ないかと思っていたのですが、帰り道では、軽井沢に向かう別荘族の車とかなりの数すれ違いました。
皆さん、あまり関係ないのかな。
都内では工事もあちらこちらでやっていて(3月ですから)、家から高速までが1時間以上かかりました。いつもは早ければ25分、普通なら40分くらいかな。
とはいえお天気も良く運転日和でした。エンジンも思いっきり回せたし、警察にも捕まらなかったし。。
さてさて、実は半年くらい前から、コロナ禍でなかなかお客様もいらっしゃれない中、技術が落ちないようにと、月に何度か勉強会みたいなことをしています。
お相手はクラニオセイクラル(頭蓋仙骨療法)の先生です。日本で一番上手な人なのではないかしら。普段は妊産婦さんや赤ちゃんのケアを専門にされています。
自分の身体のケアは、自分でもできますが、やはり他の人の手による効果は大きいものです。
できれば誰かに任せたいけれど、変な人に触られたくないのでなかなかそれも難しい、とワタシと利害関係が一致しまして、このような運びになりました。
昨日もその日だったのですが、ワタシの身体を触るなり、「悲しいことありましたか?」と聞かれました。
その人にそういわれたのは、2回目です。全然思い当たる節がないのですが、なんでそう思うのか聞くと、身体を触ると自分も悲しくなるんですって。
まあ、ワタシもあります。そんな体験。
お客様のケアをずっと涙を流しながらやっていたこと、ありました。
とても悲しい体験をされた人の身体に触ると、悲しみが伝播するというか。。
お客様は寝てらして気づかれないのですが。。
ということで、そのまま触ってもらっていると、「胃の横あたりに悲しみの塊がある。」
なんか巾着袋みたいな物なんだそうです。
あ〜〜〜〜わかった〜〜。
悲しいことを大事にしまっておいているのかも。泣きたくて。
ワタシ、実はフィッシャー症候群のあと、涙が出にくくなってしまっていたのです。
眼球の周囲の筋肉の麻痺がひどかったので、そんな後遺症もあるのでしょう。
でも普段泣くことなんてあまりないので、しばらく気づかなかったんです。
ですが、心が動いているのに涙が出なくて、なんか変なの、って思っていたんです。
ところが、数年前からライブに行くようになって、ギター聴いて泣けてきたりするものですから、涙腺がしっかり開いたんです。
(もぉっ❣️あれもこれもROLLYサマのお陰でございます涙)
思いおこせば、最初は涙が出るのに痛みを伴っていましたね。
それで、泣くのって気持ちいいなって思っていたんです。
泣くとスッキリしますしね。
頭の中のストレス物質も涙に流れ出るらしいですよ。
だからいつでも泣けるように、身体の中に巾着袋をこさえて、悲しいことを無意識にかき集めていたんですね。
面白いなあとおもいました。
ほんとかどうかなんてどうでもいいんです。
自分がなんとなく納得できたので。
実は漢方の世界では、感情が宿る臓器が決まっています。
怒りはどこどこ、哀しみはどこどこって。
そんなことも関係あるかもしれません。
そして巾着袋を優しく癒してもらったので、悲しみがなくなちゃったのかな。
何だかスッキリした気がします。
ですので、これからは嬉しいことで泣くことにします。
何だか取り留めもないお話ですが、面白かったので書いてみました。
さて今日の浅間山です。
若い頃の父は、朝起きると時間のある日は、浅間に登りに行くと言って、日帰りで歩いて頂上まで行ったそうです。
結構な距離がありますよ。
その上、麓からも見える途中の大きな崖を、素手でガシガシ登ったと自慢していました。
本当だとは信じられませんが。。今では通称ゴリラ岩と言われる場所です。
遠目から見ると、ゴリラの顔に見える大きな岩なんです。
写真では分かりにくいですが、何となくそんな感じはあります。
浅間山を見るたびに、ゴリラ岩を上る父の姿を思い浮かべます笑
0コメント