次々と亡くなっていく
こんにちは。
先週また訃報が届きました。
私より年下のインストラクターの方でした。
通っているジムスタジオでは、いちばんの古株です。
何か病気を抱えていたという話は聞いたことがなく、週に何本ものレッスンをこなし、別のスタジオでもお仕事なさってました。
その先生が急にレッスンに来ない日があって、ご本人と連絡もつかないのでと、お身内の方が自宅に行ってみたら亡くなっていたのです。
まさかあの元気だった先生が、、と。。
私も数ヶ月前に初めてその先生のレッスンを受けて、それからはすれ違うと会話を交わすようになった矢先でした。
説明も的確ですし、質問しても本当に快く答えて下さる、とても良い先生でした。
もうお会いできないのかと思うと、すごく悲しくて泣けてきます。
ジムでも、最近お休みする人たちが増えています。
何だか体調が悪くてと、ジムをお休みしていて、久しぶりに会ったらかなり痩せている、そんな人が多いのです。
そして、しばらくして精密検査を受けてみたら、がんが見つかってしまう。
その間数ヶ月。
今まではガンになっても、そこから復活する人も何人も知っていたけれど、今は一人として復活して来ません。
しばらくすると訃報が届きます。
そんなことが周囲でくりかえされています。
皆さん真面目なので、ワクチンを勧められるままに打っている人が多いんです。
家族が勧めるから
ジムに元気で通いたいから
と。
そしてどこでも、すぐに予約が取れるので打ち放題です。
4、5回まで打っている人が、半数近いのかな。
ですから、私は話すことにしました。
去年亡くなった妹のことを。
身内が、それも妹が、となると皆さん耳を傾けてくれます。
当事者の話だからです。
妹は去年、3回目のワクチンを打った後くらいから、じわじわと体調を崩しました。
それまでは、何の問題もなく仕事もし、旅行もしていました。
去年の4月には、息子の入学式のために福岡に行ったほどです。
その後不調を訴えて、近所の内科を受診して胃腸の薬を飲んでいました。
よくならずに大きな病院を紹介されたのが、4月中旬。そこでステージ4の膵臓癌が見つかりました。
私に電話が来たのが4月14日。
15日に彼女の住む軽井沢へ行きました。
一人暮らしでは危ないのでと、その場で病院の手配をあれこれと。
その甲斐あって、20日に都内の癌専門病院へ入院できました。
が、しかし何の治療もできないまま、亡くなったのが5月2日でした。
葬儀の遺影は亡くなる1ヶ月前に撮った、福岡の時の写真。
とても元気そうな笑顔の妹は、ひと月後にがんで亡くなる人の顔ではありませんでした。
癌がわかって亡くなるまでわずか2週間。
霊安室の妹は、黄疸がひどく、4月に最後に会った時の半分の大きさになっていました。
その衰弱の経緯が、亡くなり方が
尋常ではなかったので、私は3回目以降のワクチンを打つのをやめました。
周囲の訃報を聞くたびに、私は妹の話をします。
皆さん信じられない、という顔をされます。
みんな知らないんです。
もしかしたら、ワクチンにそんな危険性があるのかもしれない、ということを。
そのことに私はびっくりしました。
情報というのは本当に偏りがあるのだな、と知りました。
そして今
私が膵臓嚢胞でお世話になっている大学病院の主治医の
「膵臓癌がふえている」
という話。
科学的根拠は何もないですが、とにかく恐ろしくイヤな感じがするのです。
そして今まで生きてきて、その感覚にハズレがなかったので、今回も自分の感覚に従うことにします。
そして黙るのはやめます。
ことあるごとに、色々な人へ伝えていきます。
「もっと早く聞きたかった。」と言われようとも、です。
この写真は、入院中の妹が
「家に帰りたい」
というので、軽井沢へ行って撮ったものです。
小さい頃、一緒によく遊んだ神社の池の辺りに、すみれが咲いていました。
残念ながら妹は
生きて二度と軽井沢には戻れませんでした。
亡くなった日に
葬儀屋さんの車が、長野から妹を迎えに来ました。
そのまま妹を帰してしまうのが寂しくて、私はその車の後ろをしばらく走って、首都高に乗るのを見送りました。
その日は、彼女が生きて帰る予定にしていた日でした。
もうすぐ妹の一周忌です。
また此処には、すみれが咲くのでしょう。
亡くなった方々のご冥福を心からお祈りします。
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