「祈る」のは自分のため
台風の影響で雨が降ったりやんだりです。
今朝は雨の音で飛び起きました。なぜなら昨夜、娘が洗濯物を干しっぱなしにして寝たからです。彼女の「大丈夫でしょ!」には何の根拠もありません。
そして今日は娘の引っ越しで、夕方に荷出しなのですが、彼女は今在宅で仕事中です。
それもおそろしくごちゃごちゃの荷物の中で。その荷物いつまとめるのかしら。。
もお知らないっと。。何でこう楽観的なのか。。ということで朝から気分はバタバタしています。
そんな中でもこのnoteを書いて以来、ずっと気になっていることがあります。
それは「祈る」ということ。
「祈り」を職業にしている人がいます。例えばシスターのような方々。
随分前に当時通っていた鍼灸師さんから、こんな話を聞いたことがありました。
彼女の友人の看護師さんの話です。仮にAさんとしましょうか。
そのAさんははずっと自分の居場所がわからなくて、悩みを抱えていたのだそうです。
仕事もして結婚もして男の子のお母さんでした。
その彼女が突然修道院に。もちろん家族も何かも捨てて。
しばらくして鍼灸師さんが修道院へ友人を訪ねて行ってみたら。。。
本当に見たこともないような穏やかな表情をしていて、後悔のかけらもなかったのだそうです。本当に驚いた、と言っていました。
そのAさんご自身の言葉「毎日神様にお仕えできて本当に幸せ。」
「祈ること」で救われる人がいる。
それは周囲の人だけでなく、一番すくわれるのは自分なのかもしれない、とその時に思いました。
「情けは人のためならず」といいますか。
ココのところ、noteにカードからのメッセージを書いているのですが、すべては祈りに通ずるものなのではないかと感じています。
「祈ること」そのチカラは科学的に証明するのはなかなか難しいけれど、でも何かしらのチカラが、それも小さくない何かがあるような気がします。
誰かのために何かのために「祈ること」で何より自分が癒される。
0コメント